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2010年08月30日

キン肉マンとバーベル

僕の大学4年間はバーベルに始まり、
バーベルに終わった。

小学生の頃、一番好きなアニメは、

『キン肉マン』

だった。

近所でも僕のことをキン肉マンと呼ぶ
子どもがいたくらいだ。

それはともかく、

WikipediaならぬNikupediaが存在する
ことはご存知だろうか。

僕は毎週火曜日発売予定の週刊少年
ジャンプを裏ルートで前の週の土曜日
に入手していた熱烈なファンだった。

だから土曜日は授業にまったく集中で
きなかった。

大学ノートや新聞広告チラシにキン肉
マンに出てくる超人たちを狂ったように
書きまくった。

筋肉の凸凹を書くのが大好きだった。

キン肉マン消しゴムは全シリーズ毎日
枕元に置いて寝ていた。

それだけではない。

風呂にも入れていた。

ほとんど病的だった。

著者が「ゆでたまご」という名前だった
ために、硫黄のような匂いが嫌いだっ
たゆでたまごを克服したくらいだ。

筋肉そのものが好きだったこともあった
が、超人たち一人ひとりの実力を示す
超人パワーの数値や身長体重データ
を記憶して分析していくのが大好きだっ
た。

にもかかわらず、筆者の気まぐれには
いつも裏切られて打ちのめされ続けた
ものだ。

このエネルギーが後に4年間のトレー
ニングに直結する。

バーベルに触れるだけでも至福の瞬間
なのに、それでトレーニングできること
は夢のようだった。

どんなトレーングでも苦にならなかった。

バーベルに触れながら死ねるなら本望
だと思っていた。

4年間は就職活動すらすっぽかして、
本当にバーベル一色の汗まみれの人
生だった。

未だに掌はグローブの様でマメが残っ
ている。

「もっと何かに打ち込んでおけばよかった」

とか、

「若いうちにもっと運動しておけばよかった」

なんて微塵も思わない。

バーベルから学んだことは数知れない。

でも、不思議なものだ。

卒業後、社会人になってから一度もバー
ベルに触れていない。

嫌いになったわけでも飽きたわけでもな
いのに、本当に不思議だ。

追伸.
ウォーズマンバッファローマンに脇腹
を突き刺された時には、あまりにもショック
で自分の脇腹も本当に激痛が走りました。
本気で悲鳴を上げました。


...次代創造館、千田琢哉

★2010年7月刊『転職1年目の仕事術』
★2010年4月刊『20代で伸びる人、沈む人』
★2009年9月刊『こんなコンサルタントが会社をダメにする!』
★2009年8月刊『尊敬される保険代理店』
★2009年8月刊『存続社長と潰す社長』
★2009年6月刊『継続的に売れるセールスパーソンの行動特性88』
★2008年9月刊『社長!この直言が聴けますか?』
★2008年6月刊『THE・サバイバル 勝つ保険代理店は、ここが違う』
★2007年10月刊『あなたから保険に入りたいとお客様が殺到する保険代理店』

投稿者 senda : 00:00 | コメント (0)

2010年08月23日

マービン・バウワー

マービン・バウワーを知る人は少ないだろう。

コンサルティング業界で働くビジネスパーソン
を除いては。

人類最強のビジネスプロフェッショナル集団
マッキンゼー&カンパニーをつくった男だ。

全米のビジネス業界では知らない人はもぐり
である。

先週このブログで取り上げたマネジメントの父
と呼ばれたピーター・ドラッカーをマッキンゼー
に誘った人物でもある。

ドラッカーは、1909年生まれ。

マービンは、1903年生まれ。

ドラッカーは95歳、マービンは99歳で永眠。

ともに、長寿だ。

偉人には長寿が多い。

ドラッカー、マービンとともに世界に影響を与えた
カナダ出身の経済学者で「経済学の巨人」とい
う名を持つジョン・ケネス・ガルブレイスは97歳
まで生きている。

ちなみに、松下幸之助さんは94歳で永眠され
ている。

ドラッカーのすごいところは、常に一匹狼
の執筆家を貫いて絶対に群れなかったと
ころだ。

マービンのすごいところは、人類最強の
コンサルティングファームを遂に株式公開
しなかったことだ。

マービンがその気になれば全米屈指の大資
産家になれたのは言うまでもない。

ところが、マービンはあっさりそんなチャンスを
捨て去った。

コンサルティングファームが株主の利益
を考えるようになっては、クライアントの
利益は二の次、三の次になってしまうと
いう理由からだ。

それでは、クライアントから信頼されるコンサル
ティングファームになれるはずがない、というわ
けだ。

世界中を見渡しても、株式公開したコンサル
ティングファームはことごとく失敗している。

マッキンゼーでは、自社の株価をいっさい
気にすることなく、クライアントの問題解決
だけに注力できる。

それは脳外科医や心臓外科医が患者の命を
助けることに全神経を集中できるのとまさに同
じことだ。

マービンが規律とビヘイビアに滅法うるさかっ
たエピソードも僕は大好きだ。

もしコンサルティング業界に足を踏み入れなかっ
たら、マービン・バウワーの存在は未だ知らな
かったのかもしれない。

頂点を知らないで人生を終わるところだった。

『マッキンゼーをつくった男 マービン・バウワー』

ダイヤモンド社よ、ありがとう。


...次代創造館、千田琢哉

★2010年7月刊『転職1年目の仕事術』
★2010年4月刊『20代で伸びる人、沈む人』
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★2008年6月刊『THE・サバイバル 勝つ保険代理店は、ここが違う』
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2010年08月16日

ドラッカーの履歴書

日本経済新聞で目玉といえば、最後に掲載
されている『私の履歴書』であろう。

これについては、誰も異論はないはずだ。

2005年2月から27回にわたって連載され
たP.F.ドラッカーの履歴書を読んだ僕は、
驚愕した。

それまで僕はドラッカーの本をほとんど読ん
でいなかった。

ドラッカーそのものに興味があったわけでは
なく、あくまでもコンテンツに興味があって、
5冊ほどの書籍は持っていただろうか。

ヒトラーに直接取材をしたとか、21歳で大学
の博士課程を取得していたとか、マッキンゼー
創業メンバーのマービン・バウアーにメンバー
に加わらないかと真剣に口説かれていたとか、
そんなことはいっさい知らなかったし、興味も
なかった。

わかったようなわからないような、何とも表現
し難い煙に巻かれたような気分になる文章
ばかりに思えた。

にもかかわらず、履歴書では自分が思い描
いていた、自分自身の理想と驚くほどかぶっ
ていたという事実。

まるで自分がパクッたのではないかと思え
るほどに数値までそっくり同じだった。

特に感激した事実は以下のとおり。

・95歳まで現役
・基本は執筆家
・群がることを拒んで、自分が正しいと思った
 ことを本音で主張する
・生活のためにあまり乗り気ではなかった、
 保険会社のアナリストをやっていた
・学問領域が区分け不可能
・字が下手である

言い訳してはいけないが、今まで出逢った
人で、

「この人は抜群に頭がキレるな」

「頭の回転ではとても敵わないな」

と直感的に判別できる人の共通点は、

揃いも揃って字がムチャクチャ下手くそだった

という事実である。

以上、字が下手な人間の遠吠えであった。

追伸.
ドラッカーになりたい!とは微塵も思いません。
千田琢哉でありたい!と毎日思ってます。


...次代創造館、千田琢哉

★2010年7月刊『転職1年目の仕事術』
★2010年4月刊『20代で伸びる人、沈む人』
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★2009年6月刊『継続的に売れるセールスパーソンの行動特性88』
★2008年9月刊『社長!この直言が聴けますか?』
★2008年6月刊『THE・サバイバル 勝つ保険代理店は、ここが違う』
★2007年10月刊『あなたから保険に入りたいとお客様が殺到する保険代理店』

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2010年08月09日

売れない本

僕は売れない本が昔から大好きだった。

面展開されている本ではなくて、背表紙だけ
こっそり見せて棚の上のほうに1冊立てかけ
られている本を積極的に探したものだ。

本探しというのは、宝探しである。

売れない本はたいてい面白い。

ベストセラーよりも売れない本のほうが面白い
ことが多い。

先日業界で注目される出版社の社長さんに、
あるイベントで、

「どんな本が好きですか?」

と質問されて間髪入れずに、

「売れない本紹介してください!」

と店頭で声をかけてみた。

そうしたら、すごく嬉しそうな顔で数ある書籍の
中からサッと選んでくれた。

やっぱりこの人も本好きなんだな、と改めて教
えられた。

この本がまたすごく面白かった。

贔屓の作家がいたら、すべての本を読むのは
当然として、その中でもまったく売れなかった
ものこそじっくり味わうことだ。

そこには売れなかった怨念が籠っている。

そして、その本にしか書かれていない極秘
情報が必ず眠っている。

凄まじいエネルギーだ。

それが伝わってくるからこそ、面白い。

それが本当に本好きということだ。

それが本当に本を味わうということだ。

惚れるというのは、そういうことだ。

売れない本こそが、真の知恵の宝庫なのだ。


...次代創造館、千田琢哉

★2010年7月刊『転職1年目の仕事術』
★2010年4月刊『20代で伸びる人、沈む人』
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2010年08月02日

宮沢賢治

宮沢賢治は34歳で初めてサラリーマンになりました。

石灰肥料の販売担当でした。

宮沢賢治は明治生まれですが、当時から営業のセンス
が抜群でした。

まず、上司に対して報告・連絡・相談を欠かしません
でした。

判明しているだけで、出張中に会社に対して書いたハ
ガキが117通もあります。

わずか半年ほどの間にですから、平日はほぼ毎日の
ペースでハガキを書いていたことになります。

しかも、あのハガキのサイズに見事なまでにコンパクト
に進捗状況をまとめられていました。

さすがです。

これだけでも本にできそうです。

僕は、ぜひ出版して欲しいと思います。

また、当時からダイレクトメールの手法を使って新規開
拓をしていました。

印刷技術がまだまだ未発達だった当時に、なんとその
数1ヶ月で5000部送っていたのです。

賢治のもとには商品を買いたいという人が行列を作って
いました。

これは、見事なまでのマーケティングです。

一流のマーケッターでもあったのです。

また、雑誌に肥料会社が広告を出していました。

キャッチコピーは賢治が考えていたのです。

いかにして訴求するか、人の心を掴むのか、に対しての
視点はさすがとしか言いようがありません。

天才コピーライターだったのです。

そして出張中に病で倒れてしまいます。

療養生活中に秘密の黒い手帳に書きとめたメモが、

『雨ニモマケズ』

でした。

没後になって評価されるのは天才のお決まりのパターン
です。

何やらわかりにくい文章で様々な隠喩が含まれているの
ですが、どうもしっくりきません。

それもそのはず、最後のセンテンスになって初めて主語
が出てくるのです。

主語は「私」だったのです。

文章は常に主語が「私」であるべきだと、宮沢賢治先生
から僕は教わりました。

責任は他の誰でもない、いつも「私」なのです。


追伸.
作家はどんな仕事をしていても、作家なのですね。

追伸の追伸.
死ぬ間際にやっていたことこそ、その人の人生その
ものなんですね。


...次代創造館、千田琢哉

★2010年7月刊『転職1年目の仕事術』
★2010年4月刊『20代で伸びる人、沈む人』
★2009年9月刊『こんなコンサルタントが会社をダメにする!』
★2009年8月刊『尊敬される保険代理店』
★2009年8月刊『存続社長と潰す社長』
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★2008年9月刊『社長!この直言が聴けますか?』
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